Lesson 9 – Main Text

Journey to China – 中国への旅

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僕が中国へのに出て一週間たちましたが、おばあちゃんはお元気ですか。神戸(こうべ)から船に乗って日本を出たことはご存(ぞん)じですね。友達がまで見送りに来てくれました。彼とはけんかをしたことが何度もありますが、小学校からの友達です。わざわざ僕といっしょに新幹線に乗って、東京から神戸まで来てくれたのです。

飛行機で行けば四時間しかかからないとなりの国なのに、船に乗ると、何かとても遠い外国へ行くような気がしました。飛行機に比べて、ねだんが三分の一ぐらいですから、時間がありさえすれば、船の方がいいのではないかと思います。上海(シャンハイ)までの二日間は、食堂で酒でも飲みながら、楽しい旅をする予定でしたが、雨と風のために船がゆれて酒によう代わりに船によってしまい、何も食べられずベッドでずっと寝ていなければなりませんでした。船によってしまっては、せっかくの船の旅も長いばかりで、いいことは何もありませんね。

僕の乗った船は、何百年も前に仏教を伝えるために中国から日本へわたろうとしたお坊さんの名を取って、「かんじん号」と名付けられていました。がんじんは何度も日本へ来ようとしたのですが、そのたびに、あらしにあったり、風にふかれてずっと南の方に流されたりして、なかなか来られませんでした。何度目かにやっと日本に着いた時には目が見えなくなっていたそうです。それに比べれば僕の旅は楽なものですが、やはりなかなか大変でした。

今、上海でこの手紙を書いていますが、この後、ここからあまり遠くない所にある紹興(ショウコウ)…日本でも中国料理に使う紹興酒(しゅ)で有名ですね…などをもう少し回ってから、北京(ペキン)に行き、一年ほどそこで仕事をすることになっています。今、僕の勤めている会社が、中国からの輸入をもっと多くしたがっていて、そのために僕が行かせられることになったのです。人によっては、中国での生活は不便なことが多くて行きたくないという人もいますが、僕は前から中国に興味を持っていたので喜んで来ました。

中国は昔から、文化的には日本と一番深い関係があった国ですし、二十世紀に入ってからは、戦争という大きな問題がありました。その頃は場所によっては、日本語を無理やり覚えさせられた人もいて、今でもそんな人は日本語が話せるはずです。日本と戦ったり、日本人に苦しめられた人達が、今の日本に対してどんな印象を持っているのか、非常に興味があります。

今、僕の回りには、家族も友達もいません。聞こえて来ることばも、僕には一言も分からないこのへんの方言ばかりで、僕が大学で習った標準語(ひょうじゅんご)の中国語は大して役に立ちません。もちろん、このへんの人々も標準語が話せますが、町の中で耳に入ることばは上海語ばかりなのです。中国人に聞いてみたのですが、家族や友達と話す時は、普通、自分達の方言を使い、学校では標準語を使うのだそうです。だから、子供の頃、学校で標準語を使わせられることのなかったお年寄り以外は、みんなバイリンガルのようなものだと言えます…僕には、その二つのことばは別の国のことばだと言ってもいいくらい違っているように思われます。国が広いからこんなに違う方言があるのでしょうが、狭い日本でもお互いに分からないような方言があるのでしょうか。そう言えば、以前、九州を旅行した時に道を聞いたのですが、せっかく教えてくれたのに、ほとんど分からなかった、ということがありました。

外国は初めてというわけではないのですが、一年以上こちらで暮らすのですから、心配なことばかりです。食べ物については、中国人もお米を食べ、しょうゆやみそを使って料理をするので、大した問題はありません。でも民族の数は多いし、ことばはもちろん、考え方や習慣も日本とはかなり違うでしょうから、こちらの生活に慣れるまで、しばらく時間がかかるでしょう。

「外国で暮らして初めて自分の国の良さが分かる」ということばの意味を考えています。日本にいると、日本のいやなばかりが見えてしまいます。日本の経済が発達しても私達の生活は大して良くならないし、みんなあまり高い理想も持たず、誰もが同じような考え方をして同じような一生を送って満足しているように見えるのです。そんな日本でも、しばらくはなれて暮らしていれば、その良い所が見えてくるのでしょうか。

色々なことを考えているうちに、なぜか、おばあちゃんのことを思い出して、手紙を書く気になりました。僕が小さかった頃、仕事や旅行で遠くへ行った時に、よく絵はがきを送ってくれましたね。「人の一生は旅のようなものだ」とよく言われますが、子供だった僕は、そんなことはもちろん分からなかったし、絵はがきを書いている時のおばあちゃんの気持ちなど、分かるはずもありませんでした。

しかし、今、外国で自分一人になってみて、あの頃おばあちゃんがくれた絵はがきの意味が少し分かるようになった気がします。おばあちゃんは今年で八十何才になるのでしょうか。正月には必ず帰りますから、どうかお元気で待っていて下さい。さようなら。

十月十五日
道男より
おばあちゃんへ