Lesson 10 – Main Text

On Religion – 宗教について

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ある一人の悪人が、地ごくしずみそうになって苦しんでいた。この男は生きている間、悪いことばかりしていた男だった。おしゃか様天国ハスの池からこれをごらんになって、この男が一生の間にただ一度だけ良いことをしたことがあるのを思い出された。ある時、彼は森を歩いていて、彼の前に一匹の小さなクモがいるのに気が付いた。彼は始め、そのクモをふみつぶして殺そうと思ったが、クモにも命があるのだから助けてやろうと考えて、殺すのをやめたのだった。

おしゃか様はできれば、この男を天国に連れて来てやろうと思い、天国のクモの銀色のを手にお取りになって、その池から地ごくまでおろされた。池で苦しんでいたその悪人は、天国からおろされたこの糸に気が付くと、喜んでそれをのぼり始めた。

もう血の池が小さく見えるくらいまでのぼった所で、この男は下を見ておどろいた。たくさんの悪人達が下からその同じ糸をのぼって来るではないか!この糸は細い、細いクモの糸だ。いつ切れてしまうか分からない。心配になったこの男は、下から来る悪人達に、大きな声で命令した。「おい!この糸は、おれの物だ。みんなはやく地ごくへもどれ!」
彼がこう言い終わったとたん、クモの糸は彼の手の所から切れて、彼はほかの悪人達といっしょに血の池へ落ちて行った。

これは芥川龍之介の「くもの糸」という小説あらすじである。この話しを知らない人はいないと言ってもいいくらい日本では有名な話しである。たいていの子供は小学校の時に読ませられる。こ れを読む子供達は、仏教の教える天国や地ごくがどんな物かを知り、自分のことしか考えない悪人の狭い心と、おしゃか様の広い心について考えるだろう。もちろん、この小説は仏教の考え方を教えるために書かれたわけではないが、これを読むと人間性について広く考えさせられる。このように日本人は色々な本を通して、仏教に親しみを持つようになる。

しかし日本の仏教人口はどれぐらいかと考えると、多分みんなが思うほど多くはない。自分は仏教を信じているとはっきり言う日本人はかなり少ないであろう。普通の日本人は、誰か親しい人がなくなった時とか、なくなってから、ちょうど何年目だというような時以外は、お寺(てら)に行ったり、お坊さんに会ったりすることは、ほとんどないのではないだろうか。

仏教は日本で生まれたものではなく、六世紀に中国から伝えられたものである。もともと日本にあった信仰は仏教とはまったく違ったものであった。それは生きている世界と死んでからの世界をはっきり区別しないし、山とか大きな木とかなど自然のすべてが「神」となるようなものであった。このことから分かるように、日本の「神」はキリスト教のような一つの神とはまったく違うものである。そして人も死ねば「神」になった。このような信仰をもとにして、後(のち)に神道と呼ばれるものが出来上がったのである。

仏教では、自分が生まれる前の世界や、死んでからの世界について考える。悪いことをすれば、次に生まれてくる時には動物になるという考え方もある。たとえば、昔、あるお坊さんが一の牛を見たとたん、それが自分の母親であると感じ、家に連れて帰り、その牛が死ぬまで大事に世話をしたという話しも残っている。しかし神道では生きている間の方が大切である。だから神社の神様も、人が生きている間に役に立つ神様ばかりである。自分の行きたい大学に入れるようにとお祈りをする神様、早く子供が生まれるようにと祈る神様、病気がなおるように祈る神様というふうに。

以上のように、日本には大きく分けて仏教と神道の二つの信仰がある。そしてこの二つは歴史的にまざり合ってきて、現在の日本人の考え方に深く影響(えいきょう)与えている

さて、日本におけるキリスト教の歴史もけっしてみじかくはない。今、キリスト教の信者は日本人全体の一パーセントに過ぎないが、ポルトガル人によって、それが日本に初めて伝えられたのは一五四九年のことである。しかし、始め秀吉(ひでよし)が禁止し、その後(ご)江戸幕府がもっときびしく禁止した後は、誰もキリスト教を信じることは出来なくなってしまった。

宗教は禁止されたからといって、すぐ捨てられるものではない。だから江戸時代にはキリスト教信者は自分が信者であることを人からかくさなければならなくなった。幕府は、そのようなかくれた信者を見つけるために、ある方法を考え出した。「ふみ絵」と呼ばれる、キリストやマリアを作り、それを人々にふませて、かくれた信者を見つけようとしたのである。信者でなければ、ふみ絵をふむことは何でもないことである。しかし信者にとってはこれほどおそろしいことはなかった。ふみ絵をふむことは、自分の信仰を捨てることを意味するからである。信仰が強ければ強いほど、ふむことはむずかしかった に違いない。どうしても、それがふめなかった者は幕府の手によって殺された。ふみ絵は主にキリスト教信者の多かった九州で、一八五三年まで使われていた。このことから、幕府の禁止政策にもかかわらず、信者はついに最後までなくならなかったことが分かる。

現在、多くの若者達が、信者でもないのに教会結婚式をする。たぶんふみ絵のことなどまったく考えもせずに、ただそれが流行であるという理由だけで。それ以外の場合は、神道による結婚式をするのが普通である。私達は、それが伝統的な結婚式の形だと思っているが、専門家の研究によると、この「伝統」が出来上がったのは、大正時代からなのだそうである。それ以前は、結婚と宗教は関係がなかったそうである。